かあちゃんというテーマ

 ラップは女性嫌悪(misogyny)に、そして女性嫌悪の言葉に溢れている。いつ頃から顕著なのかよくわからないのだが、たぶんDr.DreとかSnooop Dogとかあたりから2000年代に入るころがピークだろうか、たとえば50centとかネリーとかの時代だと、札束とか、車体の低い車とか、ダイヤモンド入れた歯とか、銃とか、半裸の女性とか、そりゃHip HopはDeadだと言う気持ちもわかるよ、という状況の最盛期だったような気がするし、その歌詞も、そういった、意味のあるような無いようなものが溢れかえっていて、こういう状況であったからこそ、NASこそがヒップ・ホップの「知は力だ」("knowledge is power")という運動の先導者として、また「史上最高のラッパーのひとり」("one of the best rappers of all time")として讃えられ、2013年にNASの名が、ハーバード大学のW・E・B・デュボイス・アフリカン・アメリカン研究所のなかに作られたヒップ・ホップ・アーカイブ(センター)の奨学金の名前に付けられてNasir Jones Hip Hop Fellowshipというものが作られもしたのだろう。ちなみにNASはこの申し出に「光栄です!!」("I'd be honored")とびっくりマーク二つ付けて即答したと言われている。ただ、2010年代にはいって、女性蔑視はなくならないものの、chance the rapperやkendrick lamarを聞くと、ラップはまた別の段階に入ったのだなと感じるのである。なんといってもIce CubeとかNASだって、もう立派な(?)中年であるし、毎年、いやたぶん毎日とか毎週起こっているであろう射殺事件とかを耳にするたびに、黒人の状況はなんら変わっていないようにも見えるとはいえ、時代経験や感性は当然ちがったものであるはずだ。

 

 ラップをテーマにした博士論文がアメリカで何本も書かれるようになって、テーマが細分化されていく前から、ラップの女性蔑視はいろいろなところで問題化された。本は数知れずだが、映画では、Nobody Knows My Name(Rachel Raimist監督、1999年)が、ヒップホップの世界で生きる女性たちを取り上げて、ヒップホップの世界がいかに女性差別に溢れているかを当の女性たちに語らせると同時に、この世界(ヒップ・ホップ)の女性蔑視・女性差別がどんなものであるかを、つまりこの文化のなかで女性がどのように現れているか、表されているかを、はっきりと示してくれていた。

 

 実際に女性蔑視の言葉に溢れたラップの歌詞なのであるが、どういうわけか、というか、まあ当然ながらといったほうがいいのか、ラップでは、女親について歌うときは、たいてい共感とか、同情とか、感謝とか、謝罪とか、とにかく男の子の母親にたいする愛情いっぱいの歌になっているような気がする。母と息子の関係はラップのなかでは重要なテーマだと言い切るひともいるぐらいなのであるが、まあ、これは母親との愛憎関係を歌ったエミネムの論者の言うことであるし、たとえば、カニエのHey Mamaに影響を受けて作られたとおもわれるchance the rapperのHey Ma(「なあ、かあちゃん」)なんて聞くと、お母さんが大好きで感謝している、とラップするなんて、むしろ、マザコンとまではいわないが、健全というか、母との葛藤がないか、それを経た後の、幸せなヤツらの母親賛歌、ぐらいにしかおもえないのであるし、実際にNYのライブハウスでこの曲を歌った20歳のchance the rapperは、「ここにいるやつらみんな母ちゃんが好きだろー!」と叫んで拍手喝采、Hey Maを歌い始める、という感じだったらしいのだから、幸せな光景である。さらに、この動画は、とても幸せな幼少期の思い出に溢れた、これまた幸せな光景なのであった。

 


Chance The Rapper - Hey Ma (Official Video) - YouTube

 

 ちなみに、というか、今日はこれをメモっておきたかったのだが、the west reviewというところで、chance the rapperの最初のアルバム10dayがレビューされていて、ここでは、このHey Maがこれまでのchance the rapperの曲のなかではピカイチだし、信じられないくらい素晴らしい、と言っている。ここで言われているのは、このアルバムは、「ジャズ風の特徴を持ち、ひときわ印象的なヒップホップの演奏へと繋がるゴスペルとソウルの融合」ということで、chance the rapperをスターにしたのは、まさしくこの「ジャズ風な特徴」だということなのだが、このレビューを読んだときに、この曲を聴いて「ジャズを聴きなおさねば」となんとなくおもった理由がちょっとだけわかったのだった。あの何度も繰り返される遠いトランペットの響きや、白人の(←こういう言い方をしたくないけど)ジャズ・ボーカリストのLili Kの節まわしの効いた(という言い方をするんだろうか)歌い方と高く美しい声色など、なんとなく悲しくて美しくて、曲もただたんにかあちゃんサンキューというか、世話になった人すべてに感謝するような内容(リスペクトっていうやつである)でもあり、なんというか、この曲を聴くにつけ、これはとても幸せな経験なのではないかと、いまさらながらおもったのである。

 


Chance The Rapper – 10 Day | The West Review

 

 ちなみにLili Kはこういうひと。


Hands of Time- Lili K. and The WHOevers - YouTube

 

 母がテーマのラップといって真っ先に思い出されるのはTupacのDear Mamaかもしれないが、彼の母親は元ブラック・パンサー党員だったし、彼の名付け親(godmother)の叔母はもっと有名な女性で、たしかニューヨークパンサー党の活動家Assata Shakurで、いくつかの罪に問われて(この時代は、黒人活動家への冤罪も多い)キューバカストロの許可を得てキューバに亡命していまもそこにいるとおもわれており、最近では、アメリカのキューバの国交回復のニュースのときに、ニューヨークの矯正局だか司法局だかの偉い人が、彼女は「しかるべき場所に(=刑務所)」に戻されるべきだ、シャクールをアメリカに引き渡せ、というようなことを言っていて、叔母のことまで歌っているかは知らないが、こういう女親について歌うというのは、カニエやchance the rapperの歌うものとはまたちょっと違うのかもしれない。

 

 同じ女親でも、自分のベビーの女親、つまりはパートナーについて歌ったもののほうが断線多いとおもうが、そのなかでもおもしろいというか、悲哀とユーモアというか、そういうものが感じられるのは、OutcastのMs Jacksonで、アンドレ3000が、元パートナーのエリカ・バドゥとその母親=Ms Jacksonとの確執を歌ったものだった。


OutKast - Ms. Jackson - YouTube

 

 しかし、アンドレ3000よ、そんなさっぱりした顔でこの映像を終わらせてよかったのかい・・・?とおもってしまうんだけど。

 

ケンドリック・ラマーのショート・フィルムm.A.A.d.

 ケンドリック・ラマーのドキュメンタリー短編フィルムが、2014年夏に行われたサンダンスNEXT FEST(これは、サンダンス映画祭の発案者ロバート・レッドフォードが、普段観られないアーティストの映画を観れるようにと、しかも音楽と映画をつなぐという目的で作られたらしいが、2014年が初だったのだろうか?)でお披露目されたらしく、今後はLAのMOCAで、なんと3月21日から7月27日の4ヶ月間も観ることができるとのこと!

 

Kendrick Lamar’s ‘M.A.A.D.’ Short Film To Be Exhibited For 4 Months In Los Angeles | Vibe

By: / November 24, 2014 from VIBE
 
 監督は
Kahlil Joseph
Kahlil Joseph
Kahlil Joseph(左)、音楽担当はFlying Lotus(右)なのであるが、この短編フィルムが楽しみなのは、あの、暗い緊張感が漂い、「映画を観る経験のようなものとして」(as a cinematic experience)聞かれるよう作られた、といわれるアルバムが実際に映像として見られる、という点にある。
 
 Okayplayerの記事によれば、LAのサウスセントラルが背景でもあり主役でもある、この映画は、怒涛のように入れ替わり立ち代り現れるアメリカにおける黒人の生活を映し出した写真をちりばめたいくつものショット(shots interspersed with)を満載した夢のようなシーケンスから成っているらしい。それはコンプトンあたりで日常生活を送る人びとの写真だったり、リンチや警察の蛮行の映像を切り取った場面(clips)だったり、ラマーの子ども時代のホームビデオからとってきた場面(home footage)だったりするようである。
 
 
 そして、この記事はここでなんと、ラマーの短編映画を、21世紀における、Sun RaのSpace Is the Placeのイメージを喚起するもの、と言うのだ。Sun Raのこの超アンダーグラウンドな映画は、ジョン・F・スウェッドの『サン・ラー伝』(湯浅学監修、河出書房新社)によれば、「ドキュメンタリーでもあり、SFでもあり、黒人アクション映画(ブラックス・プロイテーション)でもあり、修正主義派聖書物語作品でもあった」(325頁)らしい。この記事によると、Kahlil Josephのこの仕事(ラマーの短編映画)は、Sun Raの言う"Equation-wise – the first thing to do is to consider time as officially ended.  We’ll work on the other side of time. "「等式という考えからいって、なによりもまず、時間というものを、はっきりと終わったものとして考えるべきだ。時間の別な側面と向き合うのだ」という法則を持った世界のなかに存在するものである、ということである。サン・ラーの映画を観ていないし、ラマーの映画も観れないので、どこがどうだといえないのだけど、この完全に消え去ってしまったといわれる、しかも未来主義で宇宙を夢見るサン・ラーの映画をイメージさせる映画というだけで、期待が持てるではないか。さらに、アミリ・バラカの引用が、銃の音にかぶさるように現れたりするらしい。意味深である。
 
 サン・ラーの引用のセリフが聞ける部分を、YouTubeで観ることができる。見るからに怪しい映画である。
 
 ホームビデオのなかに出てくる1992年3月23日という日付について、この記事は、『タイム』紙のこの日付の表紙を飾ったのがビル・クリントンとポール・トソンガスで、その年の大統領選の民主党の候補者だったのだが、その同じ号(issue)には、アカデミー賞の二つの部門(best director監督賞、best original screenplayオリジナル脚本賞)に『ボーイズン・ザ・フッド』でノミネートされたジョン・シングルトンが紹介されていたことに注目する。LAのサウス・セントラルを描いた『ボーイズン・ザ・フッド』から20年、「この狂った街mad cityの生活をとおして、この街を案内してくれるのは、若きラマーである」とのこと。『ボーイズン・ザ・フッド』を見直して、必ずこの短編映画を観なければ。そしてgood kid, m.A.A.d. cityを聞きなおさなければ。ところで日本で見られる日は来るのだろうか?いまやゴダールトリュフォーの短編すらYouTubeで観られる時代である。YouTubeでただで、とはいわない、ぜひ何らかの形で観ることができますように。
 
 
 “gOOD KID MAAD CITY
A SHORT FILM
BY: KENDRICK
LAMAR” [sic] - See more at: http://www.okayplayer.com/news/kendrick-lamar-kahlil-joseph-short-film-m-a-a-d-preview.html#slidが、実際に映像として観られる、という点にある。
as a cinematic experienc聞かれるために作られたアルバムが、ほんとうに映画になった、という点にある。
 

いまさら『ミシシッピ・バーニング』を観る

 2月はブラック・ヒストリー・マンス、というのとはたぶんまったく無関係に、近くの人権センターにて、無料で『ミシシッピ・バーニング』を見せてくれるというので行ってきた。観客はお年寄りばかり7名ぐらい。やっぱりね。

 1964年にミシシッピ州で、3人の公民権運動家(白人2名、黒人1名)が行方不明となった事件の捜査を行うために、ジーン・ハックマンとウィリアム・デフォー演じるFBI捜査官が、3人が行方不明になる前に拘束されていた保安官事務所のある町に乗り込んで事件の捜査を行い、事件の真相解明と犯人の逮捕・起訴をする、というお話。

 ものすごく緊張感のある導入のエピソードだったのだが(そこだけがたぶん事実に基づいている)、このFBIはバカなのか?もっと頭使って捜査ってするもんじゃないのか?と、途中はイライラしぱなっしであった。もちろん、そのイライラするFBIの失態があるからこそ、後半の大逆転劇が活きてくるのであるし、これでもかと繰り返される(なんで毎回同じパターンなのよ?なんのためにFBIいんのよ?とここで突っ込みたいのだが)南部の壮絶な人種差別、つねに死と隣り合わせで生きざるを得ない黒人の状況はよくよく伝わってきもするのであるが、結局、この物語でFBIが本気を出すのは、黒人が痛めつけられつくした後ではなく、ジーン・ハックマンが聞き取り捜査を通じて惹かれあってしまう白人の女が、その夫(ニヤけた保安官)の事件とのかかわりを密告して半殺しの目にあうという事実を知った後、なのである。「良心的」なアメリカ人の好きそうな映画である。熱血の「良心的な」若きリベラルな北部のエリートが、南部の無知でバカな田舎もんたちを成敗する。ハックマン演じる南部出身ゆえに荒くれものの血をもともと持ちつつ、北部で教育を受けることによって啓蒙された老練の捜査官が違法すれすれの捜査方法(いや、やっぱりどう考えても違法)で犯人たち(もちろん南部だしKKK)を追い詰めていくことによって、事件は解決をするし、そのことによってデフォー演じる若くてハゲてもなくてハンサムな捜査官は最後まで自分の信念と正義を貫き通すこともできる、というわけである。ある意味良くできた話である。

 この映画で黒人は(もちろん)脇役だ。黒人のことなど実はどうでもいい。それは映画のなかでも言われる、「公民権活動家のなかに白人がはいっていなかったら、こんな捜査などしないでしょう」と。黒人に捜査協力を依頼しながら(ことごとく無視されるが)、一度も「証言すれば守ってやる」とは言わない。追い詰めたKKKのやつには言ったのに。FBIと口をきく黒人は漏れなくリンチにあうのに、そんなことは分かりきったことなのに、何度でも同じことをやるし、やられる。そもそもFBIといえば、あのマーティン・ルーサー・キングのことさえ(晩年)public enemy(公共の敵)と指定したぐらいの組織である。66年、黒人運動のなかから「ブラック・パワー」という言葉が出てきて、黒人運動がより「戦闘的・急進化」したとおもわれた時期以降には、黒人活動家を率先して弾圧した組織ではないか、北部の都市部において。そのことをお忘れなく!とはいいたくなる。州をまたいで捜査できる権限がFBIにしかないとはいえ、ちょっと無理のある設定なのかなあとおもったのであった。少ししたら忘れてしまいそうな内容の映画であった。もしかしたら昔観たことあったかも、とすらおもってしまった。

 とはいえ、南部の人種隔離やKKKがどんなものであったか(あるか)がよく分かるし、南部の人種主義がどのようにして作られていくのかも、ハックマンと仲良くなってしまう白人女性の口によっても(少しは)語られる。ミシシッピはアメリカのアパルトヘイトと言われた場所なだけに、人種差別はあからさまですさまじかった。それはよくわかった。この女性を演じているのは、ちなみに、あの『ファーゴ』の女優の若い頃のフランシス・マクドーマンド。いい女優である。

 

 ところで、kkk(クー・クラックス・クラン)は南北戦争頃に南部にできたといわれる白人至上主義組織で、南部にはいまでもいるらしいが、最近、黒人メンバーも募集中という、ふざけたニュースを目にした。

Ku Klux Klan Opens its Doors to Hispanic, Blacks, Jews and Gays

 このニュースによれば、黒人のなかにはKKKに参加するのに興味を示しているものもいるらしく、黒人の公民権運動組織のひとつNAACPにも案内状が届いたとか。公民権活動家の一人が言うには、「だったらべつにKKKなんて名乗らなくていいじゃない」とのこと。まったくおっしゃるとおりだとおもう。しかもKKKの最近の綱領には「マリファナの合法化、メンタル・ヘルス・プログラムの向上、中絶を認める、死刑の廃止」などがはいっているらしく、もはやKKKじゃないんじゃないかとおもうのだが、それでも「あいつらは人種差別主義者だ」と言われるらしいのだから、やっぱりいっそのこと、KKKという名前をやめたらいいとおもう。名前はやめる、歴史は忘れない。だから、黒人のなかにKKKへの参加に興味を示しているというのはどういう興味なのか、とても気になる。

 

 

ヒップホップと映画ふたたび・・・の前置き

 しつこいが、2月はブラック・ヒストリー・マンス。1965年2月21日にマルコムXが暗殺されたので、今週は特に、マルコムX関係の記事がどこも多い。「ブラック・ヒストリー・マンス:必読書」(ガーディアン)でも、一番にマルコムXの自伝があげられている。

 そんななかで見つけたのは、「ブラック・ヒストリー・マンス:2015年2月以降に見るべき映画」というガーディアンの記事である。そこで紹介されている映画はこんな感じ。

 

★今年のサンダンス映画祭USドラマ部門で審査員特別賞を受賞した学園コメディもので、ハーレム出身のラッパーA$AP Rockyフォレスト・ウィテカーが出演する『DOPE』。


A$AP Rocky Makes Film Debut in Sundance-Bound 'Dope' | Rolling Stone

 

★同じく、サンダンス映画祭USドキュメンタリー部門審査員特別賞を受賞した、2012年フロリダで起こった白人による黒人青年射殺事件を題材にした『31/2 minutes』。


Jordan Davis Documentary '3 1/2 Minutes' Heading to HBO | Rolling Stone

 

★伝説的な黒人のミュージシャンを扱った映画

 Miles Ahead マイルス・デイヴィス

 クイーン・ラティーファが演じるベッツィ・スミスの映画

 ゾーイ・サルダナ演じるニーナ・シモンの映画

 

★キャサリン・コリンズによる1982年の、黒人中産階級を描いた『Losing Ground』


Losing Ground, a film by Kathleen Collins | Facebook

余談だが、このころは小説でも、テリー・マクミランやグローリア・ネイラーといった作家が黒人中産階級を描いた(もちろん一枚岩ではない描き方で)。

 

★バンリュー(パリ郊外の貧しい居住地区)出身の白人女性セリーヌ・シアマ監督による、パリの公営住宅に住む4人のアフリカ系の少女の成長物語を描く『Girlhood』


Girlhood review: an exhilarating, thought-provoking look at life inside a girl gang | French Film First | The Guardian

 

★アフリカにあるモーリタニア・イスラム共和国の監督アブデラマン・シサコの『Timbuktu』。イスラム原理主義に支配されたある町の痛ましい物語。

ガーディアンによれば、この映画は『セルマ』同様に、最近の世の中の風潮と無関係のものとしてみることは難しい、とのこと。

 

エディ・マーフィ以来のコメディ俳優と絶賛されるケヴィン・ハートが主演するコメディ『The Wedding Ringer』

 

スパイク・リーによる1973年の黒人カルトヴァンパイア映画『Ganja and Hess』のリメイク『Da Sweet Blood of Jesus』

 

★34歳のドキュメンタリー・フィルム監督Darius Clark Monroeのデビュー作で、スパイク・リーがプロデューサーとなった『Evolution of a Criminal』。監督は、16歳で銀行強盗をしてつかまり、そのあとニューヨーク大学のフィルム・スクールで学んだが、なにゆえに彼が銀行強盗という向う見ずな行為をおこなってしまったか、ということを映画にしたらしい。

 

ここまでは、いまストリームや映画館でみられる、あるいはこれから観られる映画だが、以下は、テレビ(ゆえにアメリカのみ)とDVDで観られる映画。

 

★サミュエル・D・ポラード監督(『ジャングル・フィーバー』や『クロッカーズ』の編集もやった)による、劇作家オーガスト・ウィルソンのドキュメンタリー(スパイク・リーもまたかんでいる)『American Masters: August Wilson: The Ground on Which I Stand』。

 

★1983年生まれのジャスティン・シミアン監督のデビュー作で、2014年のサンダンス映画祭USドラマ部門でSpecial Jury Award for Breakthrough Talentを受賞した『Dear White People』。全米の教育機関で実際にあった、黒人に扮しておこなうパーティでの事件を題材にした風刺映画。


Justin Simien's Open Letter - Page - Interview Magazine

 実際、あるサイトでは、「人種主義大学13校でのパーティの様子:Dear White Peopleは大袈裟でもなんでもない」と題して、そのblackface party(黒人に扮してパーティをおこなう)がどんなもんだか紹介している。どの写真も最悪である。


13 Racist College Parties Prove 'Dear White People' Is Real

 

 しかしどの映画もほんとうにおもしろそうである。

 で、ほんとうに触れたいのは、A$AP Rockyの映画とヒップホップの映画なんだが、スパイク・リーやヒップホップの映画というと、80年代から90年代にかけて、Do the Right Thing、New Jack City、Boyz N the Hood、Tupacも出演したJuiceといろいろあって、え、またなの?とおもわなくもないが、時代が変わって、ヒップホップと映画の新しい結びつきが生まれているのかどうなのか。関連するガーディアンの記事についてまとめようと思ったけど、つづきはまたにしたい。そしてDopeを必ず見なければ。

 

ケンドリック・ラマーと人種問題

 Music.Micで、ケンドリック・ラマーの人種問題に関する発言や曲の内容がものすごい論争となっていることが紹介されているのでまとめてメモっておきたい。

 


Kendrick Lamar Just Celebrated His Grammy Wins by Releasing This Brilliant Single - Mic

 

 グラミー賞でみんながカニエの話題で大騒ぎしている間に、グラミー賞の前日におこなわれるプレショー(今年はNOKIAで行われた)で、ケンドリック・ラマーの"i"が「ベスト・ラップ・パフォーマンス」賞と「ベスト・ラップ・ソング」賞を獲得していたらしい。ちなみにこのプレショーには受賞者はほとんど参加せず、だいたい代理人がトロフィーを受け取るらしい。

 この発表のすぐ後に、ラマーは "The Blacker The Berry"という曲を発表。その内容が、かなり微妙な意味を持ったものであったとのこと。この記事で紹介されているのは、こういう歌詞。

"So why did I weep when Trayvon Martin was in the street? / When gang-banging make me kill a nigga blacker than me? / Hypocrite!"

 つまり、Trayvon Martin(2012年2月に白人に銃殺された17歳の少年)が通りをぶらぶらしていて殺されてしまったニュースを聞いて泣いたなんて、なんでそんなことができたんだ?だってギャングみたいなことして(薬売ったり、ドライブバイ(車から銃をぶっ放すこと)したり、ライバルを殺したり)自分より黒いニガーをいつだって殺してないか?偽善者じゃねーか!

みたいなもんだろか。

 記事によれば、この歌詞が、それより前のビルボード誌によるインタヴューでの次のような発言とぴったり一致するものだった。

"But when we don't have respect for ourselves, how do we expect them to respect us? It starts from within. Don't start with just a rally, don't start from looting — it starts from within."

 だって、自分たちを尊敬できないのに、なんで彼らが俺らを尊敬してくれるなんて思うんだい?内側から始めなきゃ。ただ集会するとか、人からものを強奪するとか、そんなところから始めるんじゃないんだ。中から始まるんだよ。

ってことだろか。

 これらの発言はものすごい議論と反論を招いたらしく、なかでもアメリカの女性ラッパー、アジーリア・バンクスは「黒人の男の発言のなかで一番くそったれ」「あんた、貧困とか、人種主義とか、人種分離とかの何世代にも及ぶ影響って知らないワケ?」とツイッターで毒づいたらしい。

 この記事は、もちろんラマーはそんなことわかっているし、これまでの曲でも構造的な差別について言及したものはいくらでもあると擁護しており、こんな有意義な議論を巻き起こすなんて、やっぱ彼の才能は比類なきものだね!と能天気に締めくくるのであった。

 ビルボードのインタヴューを読んだけれど、ラマーの幼少期はそれはそれは貧しかったようで、数えきれないくらいレイシャル・プロファイリング(とくに有色人種を選別的に職務質問すること)を受け、何人もの知り合いや友人がギャングの抗争だとかなんだとかで死んだようでもある。good kid, M.a.a.D.cityは、そういった暗い緊張感が漂っていたようにもおもう。どっちがいいとかではなく、同じコンプトンでも、アイス・キューブのような自由で野放図な感じがしない(ただの印象)。世代の違いだろうか。もう少し慎重に考えたほうがいい複雑な問題をたくさん提起しているようにおもえる。

2月はアフリカ系アメリカ人の歴史を讃える月

 2月のアメリカと言えば、Black History Monthである。これまで無視されてきたアフリカ系アメリカ人のアメリカにおける貢献や功績、歴史を讃える月。各地でいろんなイベントが催される。2月にたまたまNYに行ったとき、ニューヨーク州立大学マーティン・ルーサー・キング3世の講演会が行われていて、行ったことがある。あれもその一環だったんだな。

 もともとは、ハーバード大学を出た歴史家カーター・ウッドソンと、彼の設立した組織『アフリカ系アメリカ人の生活と歴史学会』が、ニグロ歴史週間を作ろう!と1925年に思い立ち、1926年、ちょうどリンカーンとフレデリック・ダグラスの誕生日月でもある2月に一週間、最初のイベントが行われたことに端を発している。反応が良く、1960年代の公民権運動を経て、1976年に、イベント開催の期間が一週間からひと月に延びた。

 Democracy Now!でもBlack History Monthにちなんで、さまざまなゲストを呼んだり、パフォーマンスを見せたり、Black Lives Matter Movementについてのインタヴューを行ったりするらしく、非常に楽しみである。ぜひ引き続きメモっていきたい。Black Lives Matter Movementとは、2012年2月にフロリダで丸腰の17歳の黒人の少年が白人のGeorge Zimmermanに銃で撃たれ死亡し、やはりその後の裁判でこの白人が無罪となった後に、立ち上げられた組織の名前ではあるが、ここでは、"Black Lives Matter"(黒人の命は大事)をスローガンに掲げる運動を全般的に取り上げるのかもしれない。


Black Lives Matter: Tens of Thousands March Across U.S. Against Police Killings | Democracy Now!

 武器を持たず、抵抗もしない黒人を白人や白人警官が殺して無罪となる、という話でいつも思い出すのは、1991年のロドニー・キング事件であるし、1997年の『現代思想』のブラック・カルチャー特集に載ったジュディス・バトラーの「危険にさらされている/危険にさらす」である。一部の白人には、黒人が自らを守ろうと頭や顔にかざす手が、恐怖なのである。そのように恐ろしい目にあったのだから、銃を抜くのは当然だ、と。この時、幸いにもロドニー・キングは殺されなかったが、複数の警官が彼を取り囲んで殴る蹴るを続ける映像はすさまじく恐ろしいものだった。だけどやっぱり危険な状態にいたのは警官のほうだったのだ、となぜかなってしまうのである。この事件の後に、アイス・キューブはdeath certificateというアルバムを出した。ロス暴動も起こった。何も変わってないじゃないか。

 

また理由はビヨンセ

いったいカニエはビヨンセのなんなのか。

ガーディアンによれば、カニエがビヨンセを激しく崇拝しているのは周知のことだし、それは兄弟愛の一種である、ということだ。

何の話か。

カニエがまたグラミー賞の受賞スピーチに乱入した。2009年のときはテイラー・スウィフトだった。今度はベック。ベストアルバムはビヨンセがとるべし!ビヨンセさいこー!と、二回とも言ったっぽい。


Kanye West says Beck's Grammy award win is 'disrespectful to inspiration' | Music | The Guardian

 

テイラー・スウィフトのときは、この事件を受けて、ビヨンセテイラー・スウィフトの楽屋に誰にも良く分からないお詫びだか励ましだかの何かを差し入れしたりして、ほんとに困った兄ちゃんである。この事件のとき、日本のある有名な人が「(相手が)女だからこんなことしたんだろ。キタネー。卑怯だね」とカニエのことを言っていたけど、べつに男女関係なく、ビヨンセ様を差し置いて賞を取るやつは許せねー!らしい。その後、この写真のようにテイラーとは仲直りして、いつかコラボやるかもね!とお茶目なカニエだが、何年か後にベックとも一緒になんかやろーぜ!とかいう状況になってたりして。憎めないやつである。

テイラー・スウィフト自体になんの興味も無いのだけど、ケンドリック・ラマーの2014年グラミーのパフォーマンスのときに、最前列でケンドリック・ラマーの曲にノリノリで踊っていて、そのあとケンドリック・ラマーがテイラー・スウィフトのshake it offをフリースタイルラップしたり、テイラーのヒップホップ好きがヒップホップがみんなに楽しまれるものになることに貢献するとかなんとかコメントして、お互いにお互いの仕事をリスペクトしあっているとういことが報じられもした。とにかくお互いに(つき合ってないけど、恋愛もしてないけど)ラブラブなのである。

Imagine Dragons & Kendrick Lamar live at The Grammys 2014 Performing Maad City & Radioactive Remix - YouTube

 

イマジン・ドラゴンズとケンドリック・ラマーの2014年グラミーパフォーマンスはたしかにものすごくよくて、ああ歌っていいなあ、お互いに仕事を認め合ってなにか一緒にやれるってうらやましい、とのんきにおもったのだった・・・