かあちゃんというテーマ

 ラップは女性嫌悪(misogyny)に、そして女性嫌悪の言葉に溢れている。いつ頃から顕著なのかよくわからないのだが、たぶんDr.DreとかSnooop Dogとかあたりから2000年代に入るころがピークだろうか、たとえば50centとかネリーとかの時代だと、札束とか、車体の低い車とか、ダイヤモンド入れた歯とか、銃とか、半裸の女性とか、そりゃHip HopはDeadだと言う気持ちもわかるよ、という状況の最盛期だったような気がするし、その歌詞も、そういった、意味のあるような無いようなものが溢れかえっていて、こういう状況であったからこそ、NASこそがヒップ・ホップの「知は力だ」("knowledge is power")という運動の先導者として、また「史上最高のラッパーのひとり」("one of the best rappers of all time")として讃えられ、2013年にNASの名が、ハーバード大学のW・E・B・デュボイス・アフリカン・アメリカン研究所のなかに作られたヒップ・ホップ・アーカイブ(センター)の奨学金の名前に付けられてNasir Jones Hip Hop Fellowshipというものが作られもしたのだろう。ちなみにNASはこの申し出に「光栄です!!」("I'd be honored")とびっくりマーク二つ付けて即答したと言われている。ただ、2010年代にはいって、女性蔑視はなくならないものの、chance the rapperやkendrick lamarを聞くと、ラップはまた別の段階に入ったのだなと感じるのである。なんといってもIce CubeとかNASだって、もう立派な(?)中年であるし、毎年、いやたぶん毎日とか毎週起こっているであろう射殺事件とかを耳にするたびに、黒人の状況はなんら変わっていないようにも見えるとはいえ、時代経験や感性は当然ちがったものであるはずだ。

 

 ラップをテーマにした博士論文がアメリカで何本も書かれるようになって、テーマが細分化されていく前から、ラップの女性蔑視はいろいろなところで問題化された。本は数知れずだが、映画では、Nobody Knows My Name(Rachel Raimist監督、1999年)が、ヒップホップの世界で生きる女性たちを取り上げて、ヒップホップの世界がいかに女性差別に溢れているかを当の女性たちに語らせると同時に、この世界(ヒップ・ホップ)の女性蔑視・女性差別がどんなものであるかを、つまりこの文化のなかで女性がどのように現れているか、表されているかを、はっきりと示してくれていた。

 

 実際に女性蔑視の言葉に溢れたラップの歌詞なのであるが、どういうわけか、というか、まあ当然ながらといったほうがいいのか、ラップでは、女親について歌うときは、たいてい共感とか、同情とか、感謝とか、謝罪とか、とにかく男の子の母親にたいする愛情いっぱいの歌になっているような気がする。母と息子の関係はラップのなかでは重要なテーマだと言い切るひともいるぐらいなのであるが、まあ、これは母親との愛憎関係を歌ったエミネムの論者の言うことであるし、たとえば、カニエのHey Mamaに影響を受けて作られたとおもわれるchance the rapperのHey Ma(「なあ、かあちゃん」)なんて聞くと、お母さんが大好きで感謝している、とラップするなんて、むしろ、マザコンとまではいわないが、健全というか、母との葛藤がないか、それを経た後の、幸せなヤツらの母親賛歌、ぐらいにしかおもえないのであるし、実際にNYのライブハウスでこの曲を歌った20歳のchance the rapperは、「ここにいるやつらみんな母ちゃんが好きだろー!」と叫んで拍手喝采、Hey Maを歌い始める、という感じだったらしいのだから、幸せな光景である。さらに、この動画は、とても幸せな幼少期の思い出に溢れた、これまた幸せな光景なのであった。

 


Chance The Rapper - Hey Ma (Official Video) - YouTube

 

 ちなみに、というか、今日はこれをメモっておきたかったのだが、the west reviewというところで、chance the rapperの最初のアルバム10dayがレビューされていて、ここでは、このHey Maがこれまでのchance the rapperの曲のなかではピカイチだし、信じられないくらい素晴らしい、と言っている。ここで言われているのは、このアルバムは、「ジャズ風の特徴を持ち、ひときわ印象的なヒップホップの演奏へと繋がるゴスペルとソウルの融合」ということで、chance the rapperをスターにしたのは、まさしくこの「ジャズ風な特徴」だということなのだが、このレビューを読んだときに、この曲を聴いて「ジャズを聴きなおさねば」となんとなくおもった理由がちょっとだけわかったのだった。あの何度も繰り返される遠いトランペットの響きや、白人の(←こういう言い方をしたくないけど)ジャズ・ボーカリストのLili Kの節まわしの効いた(という言い方をするんだろうか)歌い方と高く美しい声色など、なんとなく悲しくて美しくて、曲もただたんにかあちゃんサンキューというか、世話になった人すべてに感謝するような内容(リスペクトっていうやつである)でもあり、なんというか、この曲を聴くにつけ、これはとても幸せな経験なのではないかと、いまさらながらおもったのである。

 


Chance The Rapper – 10 Day | The West Review

 

 ちなみにLili Kはこういうひと。


Hands of Time- Lili K. and The WHOevers - YouTube

 

 母がテーマのラップといって真っ先に思い出されるのはTupacのDear Mamaかもしれないが、彼の母親は元ブラック・パンサー党員だったし、彼の名付け親(godmother)の叔母はもっと有名な女性で、たしかニューヨークパンサー党の活動家Assata Shakurで、いくつかの罪に問われて(この時代は、黒人活動家への冤罪も多い)キューバカストロの許可を得てキューバに亡命していまもそこにいるとおもわれており、最近では、アメリカのキューバの国交回復のニュースのときに、ニューヨークの矯正局だか司法局だかの偉い人が、彼女は「しかるべき場所に(=刑務所)」に戻されるべきだ、シャクールをアメリカに引き渡せ、というようなことを言っていて、叔母のことまで歌っているかは知らないが、こういう女親について歌うというのは、カニエやchance the rapperの歌うものとはまたちょっと違うのかもしれない。

 

 同じ女親でも、自分のベビーの女親、つまりはパートナーについて歌ったもののほうが断線多いとおもうが、そのなかでもおもしろいというか、悲哀とユーモアというか、そういうものが感じられるのは、OutcastのMs Jacksonで、アンドレ3000が、元パートナーのエリカ・バドゥとその母親=Ms Jacksonとの確執を歌ったものだった。


OutKast - Ms. Jackson - YouTube

 

 しかし、アンドレ3000よ、そんなさっぱりした顔でこの映像を終わらせてよかったのかい・・・?とおもってしまうんだけど。