BET Awards 2016とファット・ジョー

ブラック・エンターテイメント・アウォード2016の授賞式が行われた。これはてっきり音楽の祭典だとおもっていたのだけど、たとえば、スポーツで活躍した女性とか男性とか、若手女優賞とか、そういうのもあって、文字通り黒人のエンターテイメントに寄与したひとへの授賞式のようだが、やっぱり音楽が中心。とりわけ今年はプリンスへのトリビュート・パフォーマンスがあったので音楽の祭典感が満載であった。

 

パフォーマンスも賞も、今年は圧倒的にビヨンセ。なんといってもビヨンセ。『レモネード』が超話題のビヨンセ。そしてビヨンセにはほぼ関心の無かったわたしもとうとう『レモネード』だけはね!と、即買い。いや、正確な話をすれば、ビヨンセの音楽は、赤ちゃんを眠りにいざなうのにだか、ぐずりを止ませるのにだかいいという話をひとにきき、藁をもすがる気持ちで、そのときはまったくタイムリーではなかったJayZとのあのバカバカしい曲の入った『デンジャラスリィ・イン・ラヴ』だけは買って持っていたんだった(赤ちゃんが寝たりぐずらなかったりしたかどうかは覚えてない)。

 

でも今日はビヨンセについてメモりたいのではない。もちろんオープニングを飾ったといわれるビヨンセとケンドリック・ラマーによる『レモネード』からのFreedomという曲のパフォーマンスは圧巻ですばらしく、それ以降のパフォーマンスが霞んで見えるよねっていうぐらいではあったのであるが、プリンス・トリビュートも実はよかった。エリカ・バドゥは地味だけど存在感があったし、フューチャーのトリビュートはなんども音が消されていたことからもわかるように、不適切な表現が使われ「不快」と評されながらも、ダークに盛り上がっていたし、ジャネル・モネイのパフォーマンスも相変わらずこぶしがきいてよかったのだけど、なかでもプリンス・ファミリーだったドラマーのSheila Eのパフォーマンスは楽しかった。ドラムはたたくは、ギターは弾くは、踊るは歌うは、とにかくパワフルでかっこいいのである。これらのパフォーマンスのほとんどは、BETのHPで全部見られる。

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でもここでメモりたいのは、やっぱりこういうことではない。この賞のパフォーマンスでなんとも懐かしい顔を見つけてしまったのである。Fat Joe。BET Awardsでは"Alll The Way UP"という曲のパフォーマンスをしていたのだが、それがまたなんとも珍妙であった。和服の日本人女性(たぶん)がお琴を弾いて始まるところからしてもう嫌な予感しかしない。パフォーマンスはずっと後ろで刀を持った忍者っぽい格好(正確には、和服を着崩した?)をした女性たちが刀を振り回しながら踊り、その後ろには「牡蠣」と書かれているようにしか見えない赤提灯がぶら下がっているという、和服と刀と赤提灯が融合した、間違ったオリエンタリズム、っていうかそんな難しい言葉で言わなくても、間違った日本観満載なステージ。どっからのイメージなんだろうか?でも観客も大盛り上がり。なんでもこの曲は2016年前半めちゃくちゃ流行ったらしいけど、歌詞がそういう歌詞なんですかね・・・?同じくBETのHPで見られる。

 

それで、そのステージのことはともかくも、自分にとっての青春のファット・ジョーといえば、ひとつはAshantiとのくだらないPVの"What's Love"であり、もうひとつはしばらくBIG PUNとの区別がついていなかった、という2点である。前者はともかくも、後者についてはいくら下手の横好きド素人ヒップホップファンといえども我ながらまずいだろうとおもう。だが、ふたりはまったくの無関係ではない!だって、ファット・ジョーと一緒に活動していたではないですか(BIG PUNは2000年に亡くなっているけど)!そしてStill Not a PlayerのPVを見れば、BIG PUNの後ろに終始お立ちになって彼を見守っているのはファット・ジョーではないか。それで、Still Not a PlayerでBIG PUNといえば、わが青春はBIG PUN ft. JoeのほうのStill Not a Player(1998年)。

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半裸の女性を侍らせていかにもなとおもわれるかもしれないが、この映像はかなりコミカルに作ってあって、クスっと笑ってしまうところがいくつもある楽しいものだ。当時から3分40秒あたりに出てくる静かにこのパーティに参加する慎ましやかな一男子が気になって仕方が無いのであるが、それよりも!約20年の歳月を経ていま気づいたのであるが、もしや、雨の街角にたたずみ歌うBIG PUNの後ろで静かに傘を差し出して立つ男は、ファット・ジョーさんではないですか!?影に日向に彼を支えたのであろうファット・ジョーという存在を表すかのような構図がいまさらなんとも泣けるのであった。何度見ても、今見ても、やっぱりいいな、Still Not a Player。