Tricia RoseのThe Hip Hop Warsを読む

 2008年に出版されたときに手に入れていたTricia RoseのThe Hip Hop Wars: What We Talk About Hip Hop-and Why It Mattersをいまさら読んでいる。トリシア・ローズといえば、ハーバードのアフリカン・アメリカン研究所につくられたHip Hop Archiveでも基本図書に挙げられるBlack Noiseというヒップホップの古典的な著書の著者であるが、今回の著作では、ヒップホップをめぐる論争において、ヒップホップを批判する人びととヒップホップを擁護する人びとが問題にする論点をそれぞれ5点ずつ、合計10点挙げて、その一つ一つを詳細に分析し、そのどちらの立場の人たちもが陥っている罠を明らかにしたものだ。ここで彼女は、基本的には、ギャングスタ・ポン引き・売春婦の三位一体イメージがラップの支配的なイメージおよび黒人ゲットーの物語として間違って広まっていることを指摘すると同時に、そういったモチーフに満ち満ちたギャングスタ・ラップを、アメリカの巨大な音楽企業体(当然トップは白人)が「売れる」と判断して、ラジオ局や音楽番組に金を払ってまで何度も何度も放送させる=宣伝させることの罪を激しく糾弾している。10の論点とはこんな感じ。

 

ヒップホップを批判するひとたちの主張

1.ヒップホップは暴力を惹き起す(Hip Hop Causes Violence)

2.ヒップホップは黒人の機能不全に陥ったゲットー文化を反映したものだ(Hip Hop Reflects Black Dysfunctional Ghetto Culture)

3.ヒップホップは黒人全体を傷つけている(Hip Hop Hurts Black People)

4.ヒップホップはアメリカの価値を破壊している(Hip Hop Is Destroying America's Values)

5.ヒップホップは女性の価値を貶めている(Hip Hop Demeans Women)

 

ヒップホップを擁護する人たちの主張

6.ただ現実的にやっているだけだ(Just Keeping It Real)=現実をラップしてるだけ

7.ヒップホップには性差別の責任は無い(Hip Hop Is Not Responsible for Sexism)

8.「実際にアバズレや売春婦はいる」("There are Bitches and Hoes")

9.われわれはロールモデルではない(We're Not Role Models)

10.ヒップホップでは誰も肯定的なことについて語ってなどいない(Nobody Talks About the Positive in Hip Hop)

 

 これらを各章で検討して批判しているのであるが、イントロダクションを読んで、単なる思い付きをメモっておきたい。

 

 ヒップホップはそもそもからその購買層は白人のティーンだと言われてきた。トリシア・ローズも1995年から2001年にはヒップホップの顧客基盤の70%から75%は白人であり、現在も変わらないと述べているのだが、ではいったい、黒人は、とりわけ当のラップが歌っている若い黒人はいったいなにを聞いているのか、という素朴な疑問がわくのであるが、そもそもきっとこんな疑問は的外れに違いない。購買層、つまりCDが買える、消費できる層というのは、当然金を持った白人に決まっているし(ラップが商品となり始めた当初のCDを買う層は、郊外の白人のティーンだといわれたように、郊外に家を持つ中産階級の子どもだったのだし)、ただでさえ若いやつは金がないのだし、コンプトン出身のアイス・キューブがどこかで言っていたように、ゲットーの黒人は明日食えるかどうかを心配しなきゃいけない状況なのだから、当然CDを買う余裕などないのだし、ルーペ・フィアスコが「おれはラップが大嫌いだった」とラップしていることからも明らかなように、そもそも黒人だからといってラップが好きなんてことはないのだし、いまやCDなど買わずとも、テレビをつければMTVで音楽は流れているし、Youtubeでただで動画を見れるし、今日びアルバム丸ごと無料でダウンロードできるわけだし、友達に借りるとか、みんなで聞くとか、タワーレコードで視聴するとか、金など払わずとも音楽を聴くことは可能なのだ。だから、この数字は当然といえば当然なのである(と一人合点)。

 

 そして、ここで、とくに触れる必要も無いのにそういえば、と思い出されてしまったのは、ケンドリック・ラマーのMoney Treesのパフォーマンスの光景だ。ニューヨークのユニオン・スクエアで行われたそのパフォーマンスに聴衆が詰め掛けた様子を、一瞬、これはちょっとばかし機械にこだわりと小金をお持ちの白人たちがマックの新製品か何かを買うために徹夜で並んで新製品に群がっている場面なのかと見まがってしまったのであるが、それはそういう雰囲気の白人男子がたまたま目に入って、なぜかずっとその青年に目が釘付けになったからなのであるが、よくよく見渡してみれば、当たり前であるがどんな色をしていようと集まりたいから集まった人たちなのであって、この本の参考文献に挙がっている著書のタイトルのようにWhy White Kids Love Hip Hopなどと大仰なことを考えずとも、ケンドリック・ラマーを聞く理由は、CDが買えようと買えまいと、ケンドリック・ラマーを愛しているからに決まっているではないかという気がしてくるのである。それとも、300年以上も黒人を隷属状態においてきた民族の子孫が、自分たちが隷属状態においてきた人びとの文化を愛するということ自体考察に値することで、そのことを理解するには、精神分析で解明されるべき無意識とかなにか深い意味や深い理由など、なんらかの説明がなければならないということなのだろうか。

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 さて、ギャングスタ・ラップといわれるラップの担い手は、そろそろ中年、あるいはすでに中年、もしくは老年といった域に達しているのであるが、彼らにとって人生において最高のもの=高級車やデカイ家やジュエリーであり、そういった価値観がラップのミュージック・ビデオには溢れているとしても、わざわざ批評家のネルソン・ジョージの、ラップは物質主義や暴力といったアメリカそのものが持つ価値観を反映しているに過ぎないという指摘を俟つまでもなく、たとえば、アイス・キューブと対談した、『フェミニズムはみんなのもの』等の著書で有名なフェミニスト学者のベル・フックスが、自分のお金でBMWを買って何が悪いの、と言い放った耳を疑う(いや、読んだから目を疑うか)発言を目にすれば、無理からぬことだなとおもうわけだし、いちおういろんなものを読んだり考えたり議論したりすることをナリワイとしている人間ですらそうなのだから、ゲットー生まれゲットー育ちの若者がラッパーになって自分で稼いだ金をそういったものに使うからといって、なんら不思議は無いではないか、という気がするし、ギャングスタ・ラップとは、それ以外のロールモデルのない時代の産物なのかもしれない、という気持ちもするのだ。

 

 トリシア・ローズのこの本は、たんにヒップホップの論争にたいして批判的考察を加えているだけ(=keep it realな状態)ではなく、周縁化されていながらも、決して暗い現実をラップするだけにとどまらず、コミュニティを肯定するやり方でその創造性を発揮している才能ある何人かのラッパーに注目しながら、ヒップホップの創造性と可能性について論じてくれているのである。ただひとつ、個人的に残念だなとおもうのは、そのラッパーのなかにアイス・キューブの名前が入っていないことだ。ベル・フックスがBMW発言の後に発した、自分の著作は商品であり、買ってくれる人=白人に妥協して書いている、あなたもそうじゃない?とのアイス・キューブをみくびった(としかおもえない)発言に、「いや、僕の場合はね、妥協しないことによって最大限の成功を手に入れてきたんだと思うよ。・・・僕がレコードを作っているのは黒人の子どもたちのためで、白人の子供たちは基本的にそれを盗み聞きしているんだ。でも、だからといって僕は言っていることを変える気はないよ。」と毅然と切り返すアイス・キューブは、ギャングスタ・ラップのなかでも聞くべき内容を歌うことができる稀有な存在だとおもうのだけど。ちなみにこの対談が訳出されたのは『現代思想』ブラック・カルチャー特集なのだが、この対談のアイス・キューブの発言は、今後もちょこちょこと触れていきたい。