ラッパーの役割

 90年代初頭にロドニー・キング事件があって、その後、アイス・キューブがDeath Certificateというアルバムを出し、ロス暴動が起こったのであった。あのとき、アイス・キューブ以外のラッパーがなにを言ったかということに関しては、まったくフォローしていなかったのでわからないのだが、アイス・キューブのこの、黒人以外の、たとえば韓国系アメリカ人や他のマイノリティや白人や警官にたいする怒りと憎悪に溢れたアルバムは恐ろしく売れた。

 

 ボルティモアでの事件とその後の暴動の後、ネットのおかげもあってか、多くの影響力のある有名人やラッパーがいろんなところで発言したり、行動したりした。

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(Source: Music.Mic)

 

 「なぜわれわれには今まで以上に自分たちのミュージシャンが必要かということをバルティモアの事件は明らかにしてくれる」という見出しのMusic.Micの記事は、この事件の後のラッパーたちの動きを伝えている。

 

 たとえばラッパーのワーレイ(1984年ワシントンDC生)は暴動の後に、地元のギャングのリーダーたちとともに(!)バルティモアのいくつかの高校を訪問し、「平和で肯定的なメッセージを共有した」。

  

 それで、この記事では過去に作られた「プロテスト・ソング」について触れられるのであるが、2014年12月に、クエストラブが抗議の歌が無いことを嘆いて次のように言ったことにまず言及される。ミュージシャンやアーティストは彼らが生きる時代の声とならなければならない、と。そして、それは "Fuck Tha Police"のようなことではなく、本当の物語、ナラティブ、そこに精神や解決策や疑問がこめられた歌だと。そしてその後、というか最近、たとえば、J. Coleとか、Joey Bada$$とか、ローリン・ヒルとか、レイジ・アゲインスト・ザ・マシンのギタリストトム・モレロとかが、「警察の蛮行やわれわれの刑事司法制度に存在する不平等に異議申し立てをする歌詞」をつくった。もっとも、ローリン・ヒルなどは以前から、クエストラブのいうところのかなり挑戦的な曲をつくってはきているのだ。

 

 また、たとえば、以前は誰をも傷つけたくないがために「政治的に正しく」あろうとしてきたJ. Coleがマイケル・ブラウン(2014年8月にミズーリー州ファーガソンで白人警官に射殺された青年で、その後暴動が起こり、ミュージシャンはいまだにいろんなところでこの事件に触れる)に捧げる曲"Be Free"を作った。だがその後、自分がほんとうに感じていることを歌って、自分が何か一つのことを言ったことが、だんだんと繋がっていて、世界をかえるようなことになればいいと述べている。そしてもちろん、ケンドリック・ラマーのTo Pimp A Butterflyもそういった「プロテスト・ソング」にはいるもののひとつだと、この記事では述べられる。

 

 それで、ボルティモアのあとに、ニューヨークを中心に活躍するRun the Jewelsのキラー・マイク(もともと雄弁な指導者的タイプだった)がある曲と映像を作った。そのことにここでは触れられているのだが、それは、レイジ・アゲインスト・ザ・マシンのZack de la Rochaをフィーチャーした"Close Your Eyes (And Count To Fuck)"というものなのだが、 この曲は、イメージできるようないわゆるいかにもな「プロテスト・ソング」なるものとはちょっと違う。だけど、何をいわんとしているのかが本当によく分かるというか、同情とか共感とか、そういったものからではなく、見ていてつらくなる。もうやめようよ、と心の底からおもう。ほんとうに疲れるのである。キラー・マイクは言ったらしい、「この状況から生じてくる疲弊というものを示すビデオが必要だったんだ、で、このビデオは、そうなったね」。

 

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 この記事はこの映像と曲についてこう解釈する。Run the Jewelsは、警察の蛮行といえばすぐに黒人と白人といった単純な見解を拒否したのだ、と。そして、バルティモアについてはメディアではかなりセンセーショナルに扱われているらしいのであるが、彼らはそれとは真逆な方向で映像を作ったのであり、バルティモアについてのこの対話的映像だけが、彼がいかに真剣にこの問題に取り組んでいるのかを明らかにしてくれている、とも評価している。

 

 「プロテスト・ソング」などとわざわざ言わなくても、こういう状況に生きていれば自ずとそういった方向性に自分の姿勢や曲というのは傾いていって、そしてそういう要素が含まれてしまうものなのではないかと、ケンドリック・ラマーの一連の曲を聴いても、この映像を見てもおもうのであるが、一昔前ならたしかに"Fuck Tha Police"となっていただろうが、アイス・キューブの時代の「復讐」とか「殺す」とかそんなのとはそれこそ真逆で「対話」や「平和」や「肯定」といった言葉が使われることからもわかるとおり、ほんとうにもう誰もがこんなことにうんざりしているんだろうとおもうのである。日頃はあまりこのライターの楽観的な姿勢に全面的に賛同できないのであるが、今回は「わたしたちのミュージシャンはわたしたちをがっかりさせはしない」という彼の意見に賛成であるし、ラッパーに、そして彼らの影響力に今後も期待したい。