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世紀の大騒ぎ

 はっきりいってケンドリック・ラマーが好きである、というか愛しているといっても過言ではない。そのケンドリック・ラマーの新しいアルバムが一週間早まった発売から2週間も送れて我が家に届いたのであるが、その間、それはもういろんなところで、新しいアルバムのレビューラッシュであった。悔しいのであまり見ないようにしていたのだが、たとえばweb版ローリング・ストーン誌で「2015年はD'AngeloのBlack Messiah とケンドリック・ラマーのTo Pimp Butterflyによって、黒人のラディカルな政治とブラック・ミュージックが蘇った年として記憶されるだろう」と言われたように、いろんなところでディアンジェロの『ブラック・メシア』とやたらに並べられているのが気になってはいたのである。ディアンジェロの『ブラック・メシア』も発売後は大絶賛で、ギャングスタ・ラップの隆盛期といま思えばぴったり一致する自分のR&B忌避期にアルバムを出していたディアンジェロはずっと食わず嫌いだったのであるが、いろんなWEB雑誌のbest of 2014なるランキングの上位に『ブラック・メシア』が必ずあがっていたために、つい買って聞いてしまって、そのあまりの美しさに涙を流してしまい(泣きすぎである)、『ブラック・メシア』を入れてもこれまでわずか3枚しかアルバムを出していないディアンジェロの過去のものを慌てて聞きなおしているところなのであるが、『ブラック・メシア』は、その音楽的な豊かさのみならず、それが2010年代に入る前後の世界的な動乱とアメリカでの黒人の射殺事件とそれをめぐる運動を背景に出されたものであるという点に批評の焦点が当てられていると同時に評価されているようであり、そういった点ではケンドリック・ラマーのTo Pimp A Butterflyもそれに通じるものを持っているのかもしれないと、ぼんやりとした感想を抱きはするのである。

 

 もちろん、どういったことを歌っているかは大いに気になるところなのであり、今後徐々に少しずつ紐解いていかねばならないとおもってもいるし、本人が不当に感じようと、それが結果的に政治的なものと受け止められてしまうことを本人はどうしようもないのだし、それが結果的にそうなってしまうということそのこと自体はすごいことなのではないかとおもってしまうのだが、今日メモっておかねばならないとおもっているのは、なによりもまず音楽として楽しめるTo Pimp A Butterflyの音楽的な側面についてのことなのである。

 

 Complex Newsというところが、'A Breakdown of the Samples From "To Pimp  A Butterfly'という3分間ぐらいの短い報道をやっていて、そこで、このアルバムにどんな曲がサンプリングされているかを紹介してくれているのである(もちろんラマーのアルバムを聞いただけでも、あっ!聞いたことある!(程度の知識である)とわかるものもある)!

 


A Breakdown of The Samples From "To Pimp A ...

 

  アルバムはBoris Gardinerの"Every Nigger Is A Star"ではじまり、"King Kunta"で使われているのは、次の三つ

ジェイムズ・ブラウンの"The Payback"

・Ahmadの"We Want The Funk"

マイケル・ジャクソンのSmooth Criminal

 "Momma"では、ダニー・ハサウェイの娘のララ・ハサウェイの"On Your Own"、スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンの"Wishful Thinking"、ほかにも、Zappの"Computer Love"。

 "Hood Politics"には2010年のSufjan Stevensの"The Age of ADZ"というアルバムからのサンプリングもあるそうで。

 グラミー賞を取った"i"には、アイズリー・ブラザーズの"Who's That Lady"、そのほかアフロビートの伝説Fela Kutiの"I Know Get Eye for Back"("Mortal Man"に使われているみたい)、ビースティ・ボーイズの"Year and a day"。

 それで、最後は94年のTupacのインタビューが引用されて、Tupacとケンドリック・ラマーが対話するという試みがされている。

 

 この動画のコメントのなかに、ケンドリックとこんにちのラッパーたちは、音楽への本当の敬意、本当の芸術性、メッセージを持っているということが成功をつくりあげるということを示してくれている、というようなものがあったのだが、そもそもそういうところからラップは始まっているはずであって(初期は本人たちには成功しようとかいう気持ちはなく、そういうものがたまたま成功した)、トリシア・ローズが『ブラック・ノイズ』のなかでラップの音楽的要素と音楽テクノロジーの重要性を指摘し、それこそがラップの発展における決定的側面であると同時にぜったいに欠くことのできないものだと言っているように、ラップが楽しいのは、過去の音楽に出会えること、この音楽がこんな風になるの?!という驚きと感動があるところにあるとおもうのである。だったら、その過去の音楽を聴けばいいじゃないか、とおもわれる向きもあるかもしれないが、そうではない。若いアーティストによって新しい文脈のなかで再構成されたよりいっそファンキーだったりメロディアスだったりする音にのった過去を踏まえた未来主義の語りを聞くのは心の底から楽しいのである。

 

 そういえば、トリシア・ローズはHip Hop Warsのなかで、ほとんどのレーベルが大きな5つぐらいの会社の傘下に入ってしまって、会社に都合のいい(=売れる)ラップしかラジオでもテレビでもやらなくなってしまったことを痛烈に批判しているのであるが、そのなかで、当時有名だった50centとThe Gameのあいだでおこったいわゆる「ビーフ」(ラップでお互いに攻撃しあう)について、どちらの所属するレーベル(50centはInterscope、The GameはGeffen)も同じUniversal Music Group傘下だったのだから、どこか管理されてる感がいなめなかったことを指摘しているのであるが、売れてる(た)ギャングスタラップのビーフラップなんて所詮その程度のものなのであった。

 

 それにしても、もちろんケンドリック・ラマーの新しいアルバムは野生的(野心的ではない)で、ファンキーで、解放的で、聞いていて楽しくて良かったのだし、しばらく何度も聞かねばならないなと感じているのではあるが、ここにも登場したアイズリー・ブラザーズはやはり偉大であると感じたのである。ベスト・ラップ・パフォーマンス(だっけ?)かなんかのグラミー賞をとった"i"は、一回観ただけなのであるが、パフォーマンスにそのときは気をとられていたのだが(そのくらいよかった)、アルバムを聴いて音楽のすごさをいまじわじわとやっと感じ始めているところである。

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