いまさら『ミシシッピ・バーニング』を観る

 2月はブラック・ヒストリー・マンス、というのとはたぶんまったく無関係に、近くの人権センターにて、無料で『ミシシッピ・バーニング』を見せてくれるというので行ってきた。観客はお年寄りばかり7名ぐらい。やっぱりね。

 1964年にミシシッピ州で、3人の公民権運動家(白人2名、黒人1名)が行方不明となった事件の捜査を行うために、ジーン・ハックマンとウィリアム・デフォー演じるFBI捜査官が、3人が行方不明になる前に拘束されていた保安官事務所のある町に乗り込んで事件の捜査を行い、事件の真相解明と犯人の逮捕・起訴をする、というお話。

 ものすごく緊張感のある導入のエピソードだったのだが(そこだけがたぶん事実に基づいている)、このFBIはバカなのか?もっと頭使って捜査ってするもんじゃないのか?と、途中はイライラしぱなっしであった。もちろん、そのイライラするFBIの失態があるからこそ、後半の大逆転劇が活きてくるのであるし、これでもかと繰り返される(なんで毎回同じパターンなのよ?なんのためにFBIいんのよ?とここで突っ込みたいのだが)南部の壮絶な人種差別、つねに死と隣り合わせで生きざるを得ない黒人の状況はよくよく伝わってきもするのであるが、結局、この物語でFBIが本気を出すのは、黒人が痛めつけられつくした後ではなく、ジーン・ハックマンが聞き取り捜査を通じて惹かれあってしまう白人の女が、その夫(ニヤけた保安官)の事件とのかかわりを密告して半殺しの目にあうという事実を知った後、なのである。「良心的」なアメリカ人の好きそうな映画である。熱血の「良心的な」若きリベラルな北部のエリートが、南部の無知でバカな田舎もんたちを成敗する。ハックマン演じる南部出身ゆえに荒くれものの血をもともと持ちつつ、北部で教育を受けることによって啓蒙された老練の捜査官が違法すれすれの捜査方法(いや、やっぱりどう考えても違法)で犯人たち(もちろん南部だしKKK)を追い詰めていくことによって、事件は解決をするし、そのことによってデフォー演じる若くてハゲてもなくてハンサムな捜査官は最後まで自分の信念と正義を貫き通すこともできる、というわけである。ある意味良くできた話である。

 この映画で黒人は(もちろん)脇役だ。黒人のことなど実はどうでもいい。それは映画のなかでも言われる、「公民権活動家のなかに白人がはいっていなかったら、こんな捜査などしないでしょう」と。黒人に捜査協力を依頼しながら(ことごとく無視されるが)、一度も「証言すれば守ってやる」とは言わない。追い詰めたKKKのやつには言ったのに。FBIと口をきく黒人は漏れなくリンチにあうのに、そんなことは分かりきったことなのに、何度でも同じことをやるし、やられる。そもそもFBIといえば、あのマーティン・ルーサー・キングのことさえ(晩年)public enemy(公共の敵)と指定したぐらいの組織である。66年、黒人運動のなかから「ブラック・パワー」という言葉が出てきて、黒人運動がより「戦闘的・急進化」したとおもわれた時期以降には、黒人活動家を率先して弾圧した組織ではないか、北部の都市部において。そのことをお忘れなく!とはいいたくなる。州をまたいで捜査できる権限がFBIにしかないとはいえ、ちょっと無理のある設定なのかなあとおもったのであった。少ししたら忘れてしまいそうな内容の映画であった。もしかしたら昔観たことあったかも、とすらおもってしまった。

 とはいえ、南部の人種隔離やKKKがどんなものであったか(あるか)がよく分かるし、南部の人種主義がどのようにして作られていくのかも、ハックマンと仲良くなってしまう白人女性の口によっても(少しは)語られる。ミシシッピはアメリカのアパルトヘイトと言われた場所なだけに、人種差別はあからさまですさまじかった。それはよくわかった。この女性を演じているのは、ちなみに、あの『ファーゴ』の女優の若い頃のフランシス・マクドーマンド。いい女優である。

 

 ところで、kkk(クー・クラックス・クラン)は南北戦争頃に南部にできたといわれる白人至上主義組織で、南部にはいまでもいるらしいが、最近、黒人メンバーも募集中という、ふざけたニュースを目にした。

Ku Klux Klan Opens its Doors to Hispanic, Blacks, Jews and Gays

 このニュースによれば、黒人のなかにはKKKに参加するのに興味を示しているものもいるらしく、黒人の公民権運動組織のひとつNAACPにも案内状が届いたとか。公民権活動家の一人が言うには、「だったらべつにKKKなんて名乗らなくていいじゃない」とのこと。まったくおっしゃるとおりだとおもう。しかもKKKの最近の綱領には「マリファナの合法化、メンタル・ヘルス・プログラムの向上、中絶を認める、死刑の廃止」などがはいっているらしく、もはやKKKじゃないんじゃないかとおもうのだが、それでも「あいつらは人種差別主義者だ」と言われるらしいのだから、やっぱりいっそのこと、KKKという名前をやめたらいいとおもう。名前はやめる、歴史は忘れない。だから、黒人のなかにKKKへの参加に興味を示しているというのはどういう興味なのか、とても気になる。